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◆ ペンギンの発見 ◆

 南半球のペンギンの生息域(せいそくち)に住んでいた住人たちは、もちろんペンギンの存在などは大昔から知っていたのだし、いろいろな形で接したり利用したりしてきた。
  現在でも食用としてペンギンの卵を利用しているところもある。
非常に美味らしい。

 ペンギンは古くから食用に、また、毛皮や油などの供給源(きょうきゅうげん)にもなっていた。
  ヨーロッパ人がペンギンに出会ってからも、同じように食用、毛皮、油の供給源となってきて、特にペンギンオイルは高価値のものであった。
  キングペンギンが特にそのような人間からの被害を被って(こうむって)きたものだ。(遠い目・・)

 ペンギンに遭遇(そうぐう)した最初の北半球人は、15世紀のスペインやポルトガルの探検家(たんけんか)である。
  「ロバの様に鳴く、ガチョウに似た飛べない鳥」というのが大方の見方だった。 「羽の生えた魚」とか「鳥と魚の雑種(ざっしゅ)」という見方もかなりあったようだ。

 もっとも、魚と見なした理由として、キリスト教徒の都合という点もあった。キリスト教では、金曜の夜に肉を食べてはいけないという決まりがあり、ペンギンを「魚である」ということにして食べたのだ。

同じような話は仏教にもある。修業中は鳥肉以外の肉は食べてはいけないが、ある時、ウサギを鳥ということにして食べることを思いつく。 あの大きな耳を「羽」に見立てて「鳥である」と言うことにするのだ。それで、ウサギは「一羽、二羽・・」と数えるのである。


 大航海(だいこうかい)時代になり、ヨーロッパ人が南極において現在のペンギンを発見した。北半球でペンギンと呼ばれたオオウミガラスとそっくりのこの海鳥を「ペンギンだ!」とかんちがいしたのだ。
  それが定着して、現在のペンギンは「ペンギン」と呼ばれるようになった。

 ちなみに現在のペンギンが「ヨーロッパ人」によって「発見」されたのは、オオウミガラス絶滅(ぜつめつ)後ではなく、15世紀のことである。

 そもそも「発見」というのはいつの時代も欧米(おうべい)中心の視点であり、その地域の住民は、前から現在のペンギンの存在などは知っていたのだ。
「アメリカ大陸」の「発見」なんて表現もそのひとつで、先住民に対してなんと失礼なものの言い方だろうか。

 オオウミガラスと現在のペンギンは、近縁(きんえん)ではあるがまったく別の種で、オオウミガラスは「カモメ、シギ、チドリ」の系統(けいとう)、現在のペンギンは「アホウドリ、ミズナギドリ」の系統である。


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